第一話:夜風のはじまり 窓辺にトマーティンを置いて

第一話:夜風のはじまり 窓辺にトマーティンを置いて

夜の風ほど、心をやわらかくほどいてくれるものは、そう多くはありません。それが穏やかな初夏の風であれば、なおのこと。

この文章を書いているのは、夜12時を少し過ぎた頃。窓をうっすらと開けておくと、外からふわりとした風が部屋の奥まで入り込んできます。

暑さに湿気が混じる日中とは違い、夜の風は少しだけ冷えていて、しかし冷たすぎることはない。肌に触れるその感じが、なんとも絶妙なのです。

私は、その風に当たりながら、ウイスキーをひと口。

今夜の一杯は、トマーティン。

ハイランドの優しさをそのまま液体に閉じ込めたような、穏やかで、ほんのり甘いモルト。スモーキーさは控えめで、リンゴや洋梨を思わせる香りが鼻をくすぐります。

グラスにそっと鼻を近づけて、そのまま目を閉じれば、風と香りが一つに重なって、自分がどこか知らない場所に運ばれていくような感覚がいたします。

氷は入れずに、ストレートで。少しずつ温度を上げながら、風とともに時間を味わう。そんな夜も、ときには良いものです。

風は、不思議なものです。何かを語りかけてくるわけでもなく、かといって無関心でもない。こちらが静かにしていればしているほど、その存在がはっきりと感じられるのです。

音のない静かな夜であればあるほど、風の動きがよくわかる。その移ろいに合わせて、自分の呼吸もゆっくりと変わっていく。

一日を終えたあと、ふと我に返るような時間。スマートフォンもパソコンも閉じて、ただグラスと、窓の外から吹く風と向き合う。

こういうひとときがあることで、また明日も穏やかに始められるのだろうと、しみじみ思います。

トマーティンは、そうした「風とともにある夜」にぴったりのウイスキーかもしれません。

華やかすぎず、主張しすぎず、けれども確かな個性があり、余韻も静かに続いていく。それが、今の私には心地よいのです。

風に吹かれながら飲むトマーティンは、たとえば若い頃に飲んだそれとは、まったく違う印象をもたらしてくれます。

あの頃は、もっと味や香りを「知ろう」としていました。でも今は、ウイスキーというものに「寄り添ってもらう」ような気持ちで、そっとグラスを持ち上げるのです。

夜風が少しだけ強くなってきました。カーテンが静かに揺れ、グラスの中の液面にわずかな波が立つ。ああ、これでいい。そう思える瞬間です。

まもなくグラスも空になります。そのあともう一杯飲むかどうかは、風の様子を見て決めようと思います。

トマーティンのようなウイスキーは、夜の機嫌と相談しながらゆっくり味わうのが一番ですから。

それでは、今夜はこのあたりで。どうぞ、よい風とよい一杯を。

今夜の酒:トマーティン

  • ハイランドの優しさを体現するバランスの取れたモルト。
  • 青リンゴや洋梨のような香りと、柔らかな口当たり。
  • ストレートまたは少量加水がおすすめです。

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