サウナでは“無になる”、プールでは“自分の状態に気づく”
サウナに入っているとき、私は「何も考えない」状態に向かいます。熱と静けさが、意識のノイズをゆっくりと焼き切ってくれるようで、気がつけばただ、そこに“いる”だけの自分に出会います。まさに“無”の感覚です。
一方、プールでは少し違った感覚がございます。泳ぎ始めると、自然と呼吸と動作のバランスに意識が向かいます。平泳ぎのリズム、腕の伸ばし具合、蹴り足の強さ、そして何より、呼吸の深さ。
「今日はやけに息が上がるな」「右肩が少し硬いかもしれない」「昨日の食事、ちょっと重かったかも」
水の中をゆっくり進んでいるうちに、そんな小さな“気づき”が次々と浮かんできます。
サウナが「思考を止める場所」だとすれば、プールは「自分の状態を観察する場所」です。どちらも整いの場であることに変わりはありませんが、そのアプローチは対照的で、だからこそ面白く感じられるのです。
泳ぐことで、今の自分の心と体の調子が自然とあぶり出されていく。まるで静かな健康診断のようです。身体が何を求めているのか、どこが疲れているのか、プールの中ではその声がはっきりと聞こえてまいります。
外気浴に似た“水中浮遊”の感覚
泳ぎ終わったあと、水中でぷかりと浮かぶ時間がございます。呼吸はゆっくり、動きは止めて、ただ水に委ねるだけ。この感覚は、どこか外気浴にも似ていると感じます。
水の温度はそれほど冷たくはありませんが、その浮力と静けさが、心身のスイッチを切り替えてくれます。サウナの後、水風呂に入り、ベンチで風に吹かれながらぼんやりと空を見上げるのと同じように、プールの中でも、ただ水に浮かぶだけで、頭の中が空っぽになっていくのです。
特に、平泳ぎをしばらく続けた後の浮遊感は格別です。身体の奥の力が抜けて、水の上に乗っているだけで「これはもう、整っているな」と、自然に思えてきます。
忙しい日々の中では、こうした“止まる時間”を意識的につくることが必要だと感じます。サウナで無になる。プールで気づく。どちらも、自分に戻るための小さな習慣です。
最近では、家族との時間や仕事、子育てで頭がいっぱいになりがちな毎日ですが、ほんの30分でもプールに入り、10分でもサウナに入ると、不思議と「自分」という存在を取り戻せるような気がいたします。
身体に聞いてみます。今日は、熱か、水か。
ただそれだけの問いが、一日の過ごし方を静かに変えてくれます。その選択の積み重ねが、暮らしの質をじわりと上げてくれるのかもしれません。