はじめに
2024年4月16日(火)—娘の生まれる前のまだ二人だけの旅ー
西伊豆・土肥へ向かう道中は、いつもより少しだけ心が浮き立つ。今回は「頬杖の刻(ほおづえのとき)」という宿に泊まり、海を前にした静かな時間をたっぷりと贅沢に使うことにしました。
出発は昼下がり。伊豆の緑が深まり始めたこの季節、道の駅の果実売り場にふと足を止めたのが良い前奏。

道の駅で買ったのは、イチゴの箱。

四パックがぎっしり入ったものがなんと千円!

小躍りしたくなるようなコストパフォーマンスと、見た目の鮮やかさ。私たちは車の中でその一パックを開き、いくつかを頬張りながら土肥へ。果汁がこぼれるたびに顔がほころび、旅の余白がほどけていくのを感じました。
夜のデザートにしようと残りを大事に抱えて、車は海へと下りていきます。

途中、地元のスーパー内にある魚屋に立ち寄り、晩酌のための小さな仕入れを。

生しらす、ぶりの刺身、そしてまんぼうの内臓と肝。

こうした小さな買い物が、宿での時間をより「自分たちのもの」にしてくれます。宿へ着く前の、慌ただしくも楽しい仕込みとなりました。
到着と部屋、そして最初の湯
旅人岬を目の前にする立地。

西伊豆土肥・頬杖の刻。

宿に着いて車を停めたとき、潮の匂いと海風が顔を撫でる。

フロントで手続きを済ませ、案内されたのは海側の部屋。

ベランダへ出ると、そのまま海へ続く視界がひらけ、水平線が静かに横たわっている。

思わず「来てよかった」と呟いてしまうほどの素直な景観であった。

そして真っ先に向かったのは貸切風呂。「まずは湯」という旅の鉄則を、何のためらいもなく正当化してくれる。

鍵を受け取り、二人で扉を開ける。石を用いた簡素で落ち着いた空間に湯が張られ、外の風が。

最初の湯は、旅の疲れをするりと溶かしてくれる。貸切ならではの気兼ねのなさが嬉しく、しばらく二人で沈黙のまま湯に身を委ねる。湯上がりに小さく交わす笑顔が、いつにも増して優しく見えました。

部屋に戻ると、冷蔵庫を開けて土産のイチゴを確認し、先ほどのスーパーで仕入れた生しらすとぶりを。

ここでもう一度ビールを冷やす。今回持ち込んだビールは静岡限定の「静岡麦酒(サッポロ)」。

ラベルを眺めながら口を開けると、麦の香りがさっと鼻腔を通り、口に含むと軽やかに泡がはじける。
湯上がりの一杯がこれほどまでに沁み入るのは、海の匂いと静かな室内が整っているからでしょう。
ベランダ露天風呂と夕暮れのリズム
頬杖の刻のもうひとつの贅沢は、ベランダに設えられた露天風呂。

海を真正面に見るその浴槽にゆっくりと身を沈める。覗き窓から覗き込むと、目の前を遮るものは何もない。

波音が規則正しく耳に届き、太陽が傾くにつれて海面の色が変わっていく様を湯の中から眺める至福の時間。

ビールを一口、また湯に浸かり、また海を眺める。こうした反復が、贅沢を日常に変えてくれる。

暮れかかる時間、海に夕陽が落ちる瞬間は特別。

オレンジが海面に伸びる筋となり、その光に世界が染まる。

私たちはベランダでゆっくりとその変化を見届け、沈む夕陽の余韻を胸に刻みました。
一品ずつの夕食 — メニューを丁寧に味わう
さて、この日の夕食は、宿が用意してくれたコース料理であり、メニューはお手元の写真の通り。

洋風のしつらえが心地よく、スパークリングワインと白ワインとを中心に組み合わせていただきました。
ここからは一品ずつ、素材と調理法、合わせた飲み物、そして食べたときの印象をできるだけ丁寧に記してまいります。
1)海の幸の盛り合わせ
供された最初の皿は、海の恵みを一点豪華に見せる盛り合わせ。

海老、ホタテ、そしてマグロの切り身などが並び、皿全体が海の香りをまとっている。どの身も新鮮で、口に運ぶと海の輪郭が鮮やかに立ち上がる。

スパークリングワインの微かな酸味と泡が、海鮮の脂をさっぱりと切ってくれ、前菜としての役割を余すところなく果たしている。ここでまず、飲み物に泡を選んだ判断は正しかったと納得。
盛り合わせの中で特に印象的だったのは、ホタテの具合。弾力を残しつつ、噛むごとに旨みがにじむ。生のぶりを持ち込んでいたため対照的な食感を楽しめたこともあり、魚介の弾力バランスが非常に良かったです。
2)さつま芋のスープ
温かいスープは、皮を剥いて丁寧に裏ごししたさつま芋をベースにしたもの。

クリーミーでありながら重さはなく、さつま芋本来の甘さがふんわりと舌に残る。スプーンをゆっくり運ぶたびに、体の内側がじんわりと温まっていく。
白ワインを少し口に含むと、スープの甘みが引き締まり、食欲が次の皿へと自然につながりました。
3)金目鯛のポワレ クリームソース
金目鯛は伊豆の定番であり、期待値の高い一皿。

皮はパリッと香ばしく、中の身はふっくらと火が通されている。クリームソースは濃厚さの中に軽やかさがあり、バターや生クリームのコクの奥にほんのり魚の旨みを拾い上げる風味が。
白ワインとの相性は言うまでもなく、魚の繊細な甘みとソースのまろやかさが互いを高め合う。
口の中で味が階段状に立ち上がる、満足度の高いメイン級の皿でした。
4)静岡県産ハコ豚のロースト ポルト酒ソース
続く肉料理は地元・静岡のハコ豚(箱根周辺のブランド豚か、地域の銘柄を指すものと思われる)を使ったロースト。

肉の断面は淡いピンク色を残し、ジューシーさが保たれている。
ポルト酒(ポートワイン)のソースは甘さと酸味のバランスが秀逸で、しっかりとした肉の風味に寄り添う。豚肉の脂の甘味をソースが受け止め、白ワインから赤へと移る前にしっかり満足感を得られる皿になっている。
これは、ワインを選ぶ楽しみをもたらしてくれる一品でした。
5)リゾット
しめくくりに供されたリゾットは、前の皿で北海道や駿河湾の魚介を楽しんだ流れをやさしく受け止め。

米はアルデンテに仕上げられ、出汁の旨味がしっかりと染み込み。
クリーミーさと米の粒感のバランスが良く、濃厚すぎず、食事の締めとして適度に満足感を。
白ワインの残りを流し込むと、口中の香りがふくらみ、次のデザートへと気持ちを整えてくれました。
6)本日のデザート
デザートは、季節の果実と軽いムースかシャーベットという構成。

甘さ控えめの皿が多かったコースの終わりとして、ちょうど良い余韻。
スパークリングの残りや白ワインの甘口を少しだけ口に含み、食事の余韻を味わいながらゆっくりとした時間を過ごしました。
戻っては湯を繰り返す幸せ
夕食の余韻に浸りながら外へ。

外気が心地よく、夜の旅人岬へと足が向く。

夜風が頬を撫で、波の音が一定のリズムで聞こえ、像の間から見える月が美しい。
その後部屋へと戻り、露天に浸かりながら深呼吸。日常の怒涛が素直に遠ざかっていくのがわかる。
合間にビールを一口、また湯に浸かり、という単純な動作を何度も何度も。いつの間にか、そうした単純さが一番の贅沢だと感じられるようになりました。

部屋の小さなテーブルには、夜の静けさの中で食べ残しの生しらすを広げ、ぶりやまんぼうと混ぜ合わせて最後のつまみに。
生しらすは想像以上に鮮度抜群で、ちょっとだけ醤油を垂らし、熱いご飯があればなお映えるであろう味わい。
だがこの日はハイボールとだけで愉しむ。海の恵みがこの旅の肴になるという幸せを、存分に味わいました。
就寝前の静けさ
寝る前最後に、もう一度露天に短く浸かり、布団へと。
窓には泊まり客の穏やかな明かりが点在し、遠くには海に浮かぶ月の光が揺れている。
早めに眠りにつくことができたのは、湯と酒が程よく巡ったからかもしれません。
娘の寝息が隣に。明日はまた夕焼けを浴びた海と、また別の食事が待っている。
そう考えると、時間は濃密であるが重くはなく、ちょうど良い余白を残して満ち足りていました。
ひとこと(第1部の総括)
道の駅で買ったイチゴ一箱、スーパーでの小さな仕入れ、貸切とベランダ露天で繰り返した湯、そして一皿ずつ味わった丁寧なコース。
旅の要素がそれぞれいい位置に収まり、初日は心地よい満腹感とともに終わりました。
頬杖の刻は、海を眺めながら湯に浸かり、地のものをゆったりと食べる─その基本を静かに、しかし確実に満たしてくれる宿です。