はじめに
旅の終わりというのは、いつもどこか名残惜しく、それでいて静かな充足が胸に広がっていくもの。
この日も同じでした。鶴橋の雑多で温かい街を歩きまわり、関東へと帰る前にどこかでひと息つきたい。

そんな気持ちで駅前を散歩している途中、ふと目に入ってきたのが、「お好み焼きのまるあふじ田」という小さな屋台の灯でした。

すりガラス越しに漏れる橙色の光、漂うソースと粉の香り、鉄板の上で弾ける油の音。
どれもが懐かしく、「これは寄っていくしかない」と、自然と足が止まりました。
野さい焼き2枚360円という衝撃
値段以上の“温かさ”

注文したのは、野さい焼き2枚 360円。

思わず二度見するほどの安さ。
今どきコンビニのおにぎり二つよりも安いという事実に、「大丈夫なのか?」と心配になるほどでしたが、焼き始めた瞬間、その不安はすぐに香りへと溶けていきました。
キャベツの甘みが鉄板の熱でふわっと立ち上がり、少量の油が表面を照らすように光り、焼き手のおばちゃんがくるりとリズム良く裏返す。
決して豪華ではない。でも、丁寧で、嘘のない焼き方でした。
口に運ぶと、ジュワッとしたキャベツの水気と、ほんのり甘い生地が混ざり合い、驚くほど“優しい味”になっていました。
ソースのインパクトではなく、素材そのものの香りと温かさで食べさせるタイプ。
この価格で、この誠実さ。思わず「すごいな」と声が漏れそうでした。
鶴橋という街に似た味
ごちゃごちゃ、でも温かい
鶴橋の街並みは、商店と飲食店がぎゅっと肩を寄せ合うように並び、人の声、鉄板の匂い、焼肉の煙、韓国雑貨のきらびやかな色彩。
それらすべてが混ざり合って独特の温度を持っています。
その空気の中にある「まるあふじ田」の野さい焼きは、どこか鶴橋という街の縮図のようにも感じられました。
派手さはないけれど、地に足がついた味。気取らず、飾らず、ただまっすぐに「美味しいものを安く出す」。
その気概が、じんわりと伝わってきました。
帰り道に寄れて本当に良かった
小さな寄り道が、大きな思い出に変わる
旅というものは、行きたい場所に行くことが目的のようでいて、実は“帰り道に見つけた何か”に一番心を動かされるものなのかもしれません。
目的地ではなく、たまたま足を止めた小さな屋台で、こんな温かい味に出会えたこと。
これは、まさに旅のご褒美のようでした。
野さい焼き2枚360円。
数字だけ見れば、ただの軽食かもしれません。
でも旅先で出会った味には、価格では測れない“特別な価値”があります。
この日、鶴橋から関東へと戻る前にまるあふじ田へ寄れたことは、本当に良かった。
そう静かに思えるひとときでした。
おわりに
大阪の食べ歩きは、豪華な名店を巡るだけではありません。
街角の屋台、ひっそりとした暖簾、昭和の香りが残る小さな店。
そこにこそ、今の大阪の“生きている味”があります。
まるあふじ田の野さい焼きは、その象徴のような、素朴で、温かく、そして誠実な一皿でした。
自分用メモ
- 鶴橋の屋台文化について別記事で軽く触れておくと、シリーズに厚みが出る。
- 野さい焼きの写真は背景をぼかして使うと雰囲気が出る。
- 「旅の帰り道シリーズ」などのタグを作ると連載としてまとめやすい。
- 今後、鶴橋の焼肉横丁や商店街の歴史紹介記事も作ると相互リンクで読みやすい構成になる。