湯気の向こうに浮かぶ「ことば」
湯気の中にじっと座っているとき、あるいは、外気浴で静かに風を感じているときーふと、「ことばが浮かぶ」瞬間があります。
意図せず、思いがけない角度から、何かの断片がやってくる。忘れていたアイデア、迷っていた選択、頭の片隅にあったあの言い回し。
サウナとは、そういった“思考の再会”が訪れる場所でもあると、私は思っています。
サウナは「言葉の種」を見つける場所
日々、英語の授業で使う表現を考えたり、ブログの構成を練ったりしていると、どこか頭が“圧縮されたまま”になっている感覚に襲われることがあります。
そんなとき、あえてサウナへ行く。
熱さの中でじっとしていると、「言葉の骨組み」が自然と頭に浮かんでくることがあります。具体的なフレーズだったり、生徒の顔を思い出しながらの説明の流れだったり。
それらが、湯気の中からゆっくりと立ち上ってくる。
これは、いわゆる“ひらめき”というよりも、むしろ“沈殿物の浮上”に近い感覚です。サウナは、思考を洗い流す場所ではなく、底からすくい上げる場所なのかもしれません。
外気浴がくれる「内なる対話」
水風呂で身体を冷やし、椅子に腰かけて空を見上げるあの瞬間。自分自身の思考が、いつもより遠くまで飛んでいくような気がします。
・あの説明、もう少しやさしい言い方ができるかも
・あの生徒の表情、なんであんなに硬かったんだろう
・あの文法説明、図にしてみたら伝わるかも
外気浴は、身体を休めながら、自分の中で小さな会議を開くような時間でもあります。
それは「悩む」というより、「整理する」時間。心が、物理的に風にあたることで、冷静になっていくように思えるのです。
何かが“入ってくる”ための空白づくり
私の授業スタイルは、「伝える」ことにとどまらず、「どう受け取ってもらえるか」をいつも気にしています。
だからこそ、日々の生活の中で、“ことばが過密になっている”感覚があると、自分の語り方にまで硬さが出てくる。
サウナで一度“空白をつくる”ことで、そのあとに新しい言葉がスッと入ってくる。これは、講師としてだけでなく、一人の生活者としても、大きなリセットになるのです。
サウナのあとの「選択」は、いつも柔らかい
面白いのは、サウナに行ったあとというのは、なぜか行動が“やさしくなる”ということです。
・いつもなら後回しにするタスクに、さっと手をつけられる
・家族にかける声が、少しだけ穏やかになっている
・夕飯のメニューを変えたくなる
身体の状態が整うと、自然と行動も変わる。これはきっと、頭で考えるだけでは到達できない種類の変化なのだと思います。
だからこそ私は、定期的にサウナに通い、「考えることと感じることのバランスを戻す」ようにしているのです。
おわりに:ことばと向き合う人にこそ、サウナを
「英語の講師なのに、サウナや温泉の話ばかりですね」と笑われることもあります。
でも実のところ、私にとってサウナは「語りの土壌」を耕すような場所なのです。思考が風通しを取り戻せば、言葉も呼吸をはじめる。
そういう意味で、サウナという習慣は、私の職業と、生活そのものを支える一部となっています。
これからも、日常の中で「余白」を見つけるように、熱と水と風の中に身を置きながら、少しずつ言葉を磨いていけたら…
そう思っています。