夜の思索 ― シリーズ紹介 ―

夜の思索 ― シリーズ紹介 ―

一日の仕事を終えて、塾の照明を落とし、鍵を閉める。

生徒たちの声が消え、通りには夜の空気が満ち始める頃、ようやく私は、講師ではない一個人に戻る。

塾講師としての顔。経営者としての顔。父親としての顔。

それらの役割が、少しずつ夜に溶けていく。そのときにはじめて、心の中に残っていた“言葉にならなかったものたち”が、ゆっくりと姿を現し始める。

「夜の思索」は、そんな時間の中で綴る、小さな記録です。

酒場のカウンターに一人座り、ジントニックの氷が溶けていく音を聞きながら。湯上がりの体をクールダウンさせる、銭湯の休憩スペースで缶ビールを開けながら。夜道を歩きながら、自販機の灯りに照らされてふと立ち止まる瞬間に。

日常の中にある“余白”のような時間に、少しだけ心の奥を覗いてみる。それがこのシリーズの出発点です。

私の主な仕事は、神奈川県西部にある、個人経営の学習塾です。中高生たちと日々向き合い、言葉を教え、試験と向き合い、時には人生の話をし、夜まで教室に灯りをともしています。

塾という場所には、いくつものドラマがあり、決して静かではありません。それでも、自分が選び、守ってきた場所です。

法人を立ち上げたばかりの今は、代表としての責任も加わり、経営や税務、人の流れ、金の流れに目を配る日々でもあります。もちろん、このブログの運営も続けていかなければなりません。

毎日は忙しく、けれどとても充実しています。そんな日常のなかで、ただひとつだけ変わらずに必要だと感じているのが、“考えるための静かな時間”です。

このシリーズでは、仕事の話をするときもあります。家庭のことに触れることもあります。あるいは、酒場や温泉、サウナのことを語ることもあります。

けれど、本当に書いているのは、そういったものの中にふと現れる「気配」のようなものかもしれません。

たとえば、ある古びたバーで、マスターの「いらっしゃい」というひと声に心がほどける瞬間。たとえば、ある銭湯で、娘の笑い声に湯気が揺れる光景。また、たとえば、本厚木の一角にある王道のバーで、一人ジンやマンハッタンを飲みながら、何かが胸に残る、あの静けさ。

日々の出来事が、夜という時間のなかで少し違って見えてくる。「夜の思索」は、そんなふうにして生まれる言葉たちです。

派手さもなく、何かを教えるわけでもなく。ただ自分が感じたことを、自分の言葉で、自分のために書く。けれど、もしもこれを読んでくださった方の中に、「ああ、自分もそんな夜がある」と思ってくださる方がいたなら、それはとてもありがたいことです。

夜にしか見えないもの。夜にしか考えられないこと。それらを、大人になった自分の言葉で、静かに綴っていけたらと思っています。

どうぞ、夜のひとときを過ごすような気持ちで、お付き合いいただければ幸いです。

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