第二話 水を抜けた身体に、日本酒が沁みる

第二話 水を抜けた身体に、日本酒が沁みる

はじめに

プールで泳いだ後の身体は、どこか特別な状態にあります。

水の抵抗を受け、筋肉を隅々まで動かし、心拍数を一定のリズムで上げ下げしながら過ごした一時間。その過程で、余分な緊張や頭の中のざわめきが、自然と削ぎ落とされていきます。

サウナのように一気に発汗してデトックスする感覚とは少し異なり、プールでは「水に抱かれながら、じわじわと心身を洗い流す」ような時間が流れます。泳ぎ終わったあと、シャワーで塩素を落とし、清潔な服に着替えると、ふと自分の身体が“まっさらな器”になったかのような軽さを覚えるのです。

そんな身体に、静かに沁み渡るのが─日本酒。

日本酒を選ぶ理由

泳いだあとの最初の一杯といえば、やはりビールを思い浮かべる方が多いことでしょう。確かに、炭酸の刺激と冷たさが、喉を潤す喜びとして格別です。

しかし、身体を動かしたあとの自分と向き合う時間に、日本酒という選択はまた別の深みを与えてくれます。

まず、日本酒は口に含んだ瞬間から「香り」と「温度」が、身体に語りかけてきます。ビールの爽快さが“外向きの元気”を与えるのに対し、日本酒は“内向きの静けさ”をもたらします。まるで、泳いで余分なものを削ぎ落とした心に、ひとつの灯火をそっと置いてくれるような感覚です。

温度で変わる、日本酒と身体の調和

たとえば夏の夜。泳ぎ終えた後に冷やした純米吟醸を口にすれば、清らかな水の延長線上にあるような透明感を覚えます。プールで何度も呼吸を繰り返し、胸を大きく膨らませては吐き出してきた肺。その空洞に、冷や酒の澄んだ香りがすっと流れ込むような感覚です。

一方、肌寒い日であれば、ぬる燗が良いでしょう。ほんのり温められた日本酒は、冷たい水の中で締め付けられた筋肉を解きほぐし、血の巡りを優しく導きます。温泉やサウナの“温冷交代浴”とは違い、「冷たい水」と「温かい酒」というシンプルな二重奏。それでも、その響きは十分に豊かで、身体の奥に静かに広がっていきます。

「沁みる」という体験

日本酒を飲むときに感じる「沁みる」という表現には、単なる味覚以上の意味があります。泳ぎ終わった直後の身体は、筋肉に細やかな疲労を抱え、水分を失い、同時に不思議な透明感をまとっています。その状態で口にする日本酒は、舌から喉へ、喉から胸へと下っていく道すじを、いつも以上に鮮やかに感じ取ることができます。

その一口目の瞬間─水面から上がったばかりの身体に、酒が「おかえり」と声をかけるように馴染んでいく。これこそ、泳いだ後にしか得られない特権のように思えるのです。

精神的な余白をつくる

また、日本酒は「飲む速度」が自然とゆるやかになります。炭酸飲料のように一気に流し込むものではなく、一口を味わい、間を置き、余韻を楽しむ酒です。そのリズムが、泳ぎによって整った呼吸と見事に重なります。

水の中で一定のリズムを刻んだ心拍が、酒の余韻に寄り添いながら静まっていく。こうした過程が、精神に余白をもたらし、「今日の自分」を落ち着いて見つめ直す時間をつくってくれるのです。

終わりに

泳いだ後に飲む日本酒は、単なる嗜好品としての喜びを超えています。それは「動」と「静」、「水」と「火」、「削ぎ落とす時間」と「満たされる時間」が交差するひととき。

ビールが外へと気持ちを開かせてくれるなら、日本酒は内側へと心を導いてくれる。どちらも素晴らしい体験ですが、日本酒の深い沁み方は、泳いだ身体にしか訪れない唯一の贈り物のように思えるのです。

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