泳ぐという瞑想──整うのはサウナだけじゃない
夏になりました。
この季節は静かなプールに身を沈める機会が多くなります。鼻からゆっくりと息を吐き、水の抵抗を感じながら腕を前へ伸ばしていく。そのまま平泳ぎのリズムで、水をかく、伸ばす、息を吸う。この繰り返しに集中していると、不思議と心が整ってまいります。
サウナで「熱に身を委ねる感覚」もまた素晴らしいものですが、プールの水の中には、別の種類の静けさがございます。水に浮かぶことで、体の重さが抜けていく。頭の中のざわつきや考えごとも、どこかへ流れていくように感じます。
泳ぎ方は、主に平泳ぎ。ゆっくりと自分のペースで泳ぐのが好きです。時折、気分転換にクロールも試しますが、呼吸のリズムが乱れると、かえって雑念が戻ってきてしまいます。背泳ぎやバタフライも一応できますが、あくまでも「整うため」の泳ぎとしては、私は平泳ぎが合っているようです。
水中は、音が遮断され、感覚が研ぎ澄まされる空間。腕が水をかく音、自分の呼吸音、そして少し遠くで聞こえる誰かの水しぶき。どれもが淡く、心地よいノイズとなって、自分の内面と向き合う時間をつくってくれます。
サウナでは「熱」と「静寂」で整う感覚がありますが、プールでは「動き」と「浮力」で整うような感覚がございます。どちらが上というわけではなく、その日の体調や気分によって、選ぶべき場所が変わってくるのだと思うのです。
私にとって、特に眠りが深かったとき、頭をシャキッとさせたいとき、そんな日には、プールの方が合っていることが多いようです。リズムよく泳ぐことで、身体が勝手に整っていく。意識せずとも、整いの方向へと向かっていく感覚です。
泳いだ後は、軽くストレッチをし、シャワーを浴び、その後は屋外に出て風にあたる。これだけで、心も身体もずいぶん軽くなります。
「整う」とは、必ずしも熱と汗に頼るものではない。そんなことを、プールの水の中であらためて感じるのです。
疲労回復という視点で見る、プールとサウナ
サウナとプールは、一見まったく異なる性質を持つものに思えます。けれど、「疲れをとる」「心身を整える」という視点で見てみると、意外な共通点と違いが浮かび上がってまいります。
サウナは、じっと座って熱を浴びることで、自律神経のバランスを整える効果がございます。発汗によるデトックス、血行促進、そしてそのあとの冷水浴と外気浴による副交感神経の優位化。これらが総合的に「整う」という状態をもたらしてくれるのです。
一方、プールには“動くこと”によって得られる整いがございます。水中では関節にかかる負荷が軽くなり、筋肉を優しくほぐすことができます。有酸素運動としての側面も強く、血流が良くなり、内臓の働きにも刺激を与えてくれます。
また、平泳ぎのように一定のリズムでゆっくり泳ぐことで、呼吸が自然と深くなってまいります。これは、サウナ後の深呼吸にも通じるものであり、心拍を整えるうえでも効果的です。
サウナが「何もせずに、身体が整っていく」受動的な整いだとすれば、プールは「自分の力で、呼吸と動きを揃えていく」能動的な整いと言えるかもしれません。
個人的には、疲労が深いとき、体が重く感じるときには、サウナの熱と静けさに助けられます。そして、肩こりや腰のこわばり、モヤモヤした思考が続くようなときには、プールでの軽い運動が効果的に感じられます。
体調や季節、そして気分によって、サウナとプールを選び分ける。その選択そのものが、「自分を大切にする」という小さなケアにつながっていくように思うのです。
さて、今日はどちらに行きましょうか。
静かな熱の中で目を閉じるか、水の中で呼吸を感じるか。その選択は、きっと間違っておりません。なぜならそれは、今の自分の声に耳を澄ませた結果なのですから。