シャンパーニュ地方を歩く
フランス北東部、パリから列車に揺られておよそ1時間半。
ブドウ畑の波が地平線まで広がるその土地に、シャンパンの聖地、エペルネとランスがある。
どちらも三度ずつ訪ねたことがあるが、印象はそれぞれに異なる。
ランスは大聖堂の街。歴代のフランス国王が戴冠したゴシックの大聖堂、荘厳で荘麗なノートルダム大聖堂がシャンパン文化の背骨を成している。街の広場は大きく開け、石畳を歩くと、中世から続く歴史の重みを肌で感じられる。
一方で、エペルネは「泡の都」。モエ・エ・シャンドンやペリエ・ジュエなど、世界を代表するシャンパンメゾンが通り沿いにずらりと並ぶ。まるで「シャンパンの銀座」とでも言おうか。メインストリートであるシャンパーニュ通りは、両脇に豪奢な建物が続き、その地下には100kmを超える熟成セラーが広がっている。
酔いと音楽の午後
ある日の午後、エペルネでいくつかのメゾンを巡っては試飲を繰り返した。グラスを重ねるうちに、ほろ酔いどころか、しっかりと酔いが回ってしまった。
通りに面したベンチに腰を下ろし、ポケットからスマートフォンを取り出す。
そこでプレイヤーからかけた曲はOasisの『Champagne Supernova』。再生した瞬間、泡の余韻と音楽の高揚感が重なり合い、街そのものがひとつの音楽の舞台に変わったように感じられた。
「こらこら、やめなさいって。」
隣にいた妻の声がした。観光地の真ん中でスマホから大音量で音楽を流すのは、確かに少し場違いだったかもしれない。
だが、そのとき不意に声をかけてきた女性がいた。
イングランドから来たマダムとのやり取り
おそらくイングランド出身と思われる、上品なマダムが微笑みながら言った。
Madam:
“Excuse me… You’re playing Oasis, aren’t you? The song is… Champagne Supernova.”
私:
“Oh, yes! Champagne Supernova. That’s right! Oasis!”
最後の「Champagne Supernova」の部分で、彼女と私の発音が見事に重なった。まるで一瞬の合唱のように、言葉が空気の中で響きあったのだ。
(和訳)
マダム「すみません…あなた、オアシスを流していますよね?曲名は『シャンペン・スーパーノヴァ』でしょう?」
私「『シャンペン・スーパーノヴァ』。そう、その通り。オアシスのね。」
妻は呆れたように笑いながらその様子を見ていたが、私にとっては忘れられない一瞬だった。シャンパンの都で、偶然にも「Champagne Supernova」を媒介にイングランドとつながったのだから。
曲と酒のリンク
『Champagne Supernova』は、青春の刹那を壮大に描いたOasisの代表曲のひとつだ。
歌詞の中に出てくる「caught beneath the landslide(地すべりに呑み込まれて)」や「slowly walking down the hall(ゆっくりと廊下を歩いて)」といったフレーズは、現実と幻想が交錯する不思議なイメージを描き出している。
一方で、シャンパンという酒もまた、刹那的で儚い。
グラスに注がれた瞬間から、泡は立ち上り、消えていく。その短い時間にこそ、きらめきと祝祭の美しさが凝縮されているのだ。
だからこそ、『Champagne Supernova』とシャンパンは必然の組み合わせだと思う。
どちらも、人生のある一瞬を永遠に記憶に焼き付ける力を持っている。
英語の小話 “Supernova”
最後に少しだけ英語教育らしい話を。
“supernova”とは「超新星」のこと。星が最期に大爆発を起こす現象を指す。語源的には “super”(超えて)+ “nova”(新しい星、ラテン語で「新星」)。つまり「究極の新しさを放って消える星」という意味だ。
この単語ひとつで、壮大さと儚さが同時にイメージできる。そしてそれは、シャンパンの泡にも、青春の時間にも、不思議と重なっていくのだろう。
最後に
このエペルネの午後を思い出すたびに、私は決まってシャンパンを手に取り、Oasisを聴きたくなる。「Champagne Supernova」―泡の都で聴いたあの瞬間が、今も胸に鳴り響いている。
10月25日、土曜日の東京ドーム。手に入れたチケットSS席。
今から楽しみでたまらない。