はじめに
八月の終わり、夏の余韻がじわりと残る午後。
私は引っ越しのために、段ボール箱や家具をせっせと運んでいました。普段はデスクに向かうことの多い身にとって、何十キロもの荷物を抱え、階段を上り下りするという作業は、なかなかの重労働。額からは容赦なく汗が流れ、Tシャツはすぐに色を変えてしまいました。
正直に言えば、腰にも腕にもずっしりと疲労が残りました。けれど、妙なことに気持ちは晴れやかだったのです。身体はへとへとでも、心は軽やか。むしろ爽快感すら覚える。
人はどうして「汗をかく」と気分が晴れるのでしょうか。
サウナに通じる「発汗の快楽」
私はこの体験を、サウナと重ね合わせて考えました。
サウナに入れば、わずか十数分で全身が汗に包まれる。毛穴の奥に滞っていたものが一斉に外へ押し出されるようなあの感覚。あの瞬間に覚える「浄化感覚」に、人は魅了され続けているのだと思いました。
汗をかくことにはいくつかの科学的な効用があります。まず、体温調節。皮膚から蒸発する水分が熱を奪い、体のオーバーヒートを防ぐ。そして同時に、交感神経が優位から副交感神経へと切り替わり、いわば「戦闘態勢」から「休息態勢」へと心身が移行していく。これが、汗をかいた後に得られる安堵感の正体です。
引っ越し作業で大量に汗を流したときも、身体は自然に同じ仕組みを動かしていたのだと思うのです。もちろん、サウナほど整った環境ではないにせよ、肉体労働の後に心地よい解放感を味わえるのは、この生理的な変化が背景にあるのではと。
汗と「リセット」の感覚
さらに言えば、汗をかくことは「リセット」に近い。
日々の生活では、頭の中が雑多な情報でいっぱいになり、体にも余計な力がこわばる。ところが一度しっかり汗をかくと、まるでスイッチを押し直したかのように余白が生まれるのです。
サウナ好きが口を揃えて「頭が空っぽになる」と言うのは、おそらくはこのためでしょう。引っ越しの作業中も、途中から考えていたのは「次はどの荷物を運ぶか」という一点だけ。日頃の悩みや雑念は、汗と一緒に流れてしまいました。
8月末日の汗と、夏の名残
それにしても、八月末日の汗には、独特の感慨がありました。
その日は真夏の盛りのような鋭い日差しではなく、夕方には風にほんのりと秋の匂いが。季節が切り替わる狭間に、たっぷりと汗をかき、そして涼風に吹かれる。その落差こそが、爽快さを際立たせてくれたのでしょう。
サウナに入ったあと、水風呂から上がって外気浴に身をゆだねる瞬間に似ている。熱と冷、緊張と緩和、そのリズムが心身を深いところから整えてくれました。
終わりに
重い荷物を運ぶという一見「苦行」に思える時間が、なぜか楽しく、なぜか清々しいものとして記憶に残っている。これはきっと、汗がもたらす「人間本来のリズム」に触れたからだと思いました。
サウナであれ、引っ越しであれ、庭の草むしりであれ。たっぷりと汗をかいた後に訪れるあの爽快感は、何物にも代えがたい。
夏の終わりに経験したその感覚を、私はこれからも大切に記憶しておきたいと思います。