湯気の中で拾う、ことばのかけらたち
サウナにいると、不思議と“言葉”が浮かびます。
それは日常の中では意識しなかった単語だったり、いつかどこかで読んだ比喩、あるいは、まったく新しい造語のような音の連なりだったり。
身体が熱に包まれ、頭が空白に近づくと、本当に必要な語彙だけが、ぽつりぽつりと浮かんでくる。
今回のテーマは、「語彙とサウナ」。
英語講師として、言葉に触れ続けてきた私が、サウナの中で拾い上げてきた言葉たちについて書いてみたいと思います。
語彙は「頭」ではなく「感覚」からやってくる
ふだん英語を教えていると、「この単語、何度やっても覚えられないんですよね」と言う生徒によく出会います。
でも本当は、語彙というのは「記憶」ではなく「感覚」によって定着する部分もある。その意味では、サウナは語彙の感覚を磨く場でもあると感じています。
たとえば、外気浴のときにふと浮かんだ言葉—
- 「余白」という語の柔らかさ
- 「沈黙」の中にある気配
- 「間(ま)」という日本語ならではの美しさ
こうした語は、頭でひねり出そうとしても出てこないものです。むしろ“からっぽ”の時間のなかで自然と立ち上がってくる。これこそ、語彙と出会う本来のかたちかもしれません。
サウナがくれる「内なる翻訳装置」
英語を教えていていつも思うのは、「言葉を訳す」という行為の本質は、“気持ちの重さ”を伝えることだということです。
たとえば「relax」という単語。
日本語では「くつろぐ」と訳すけれど、サウナに入って外気浴をしているとき、私が体験しているのはただの“くつろぎ”ではありません。
- 力が抜けて、でもどこか芯は残っている
- 思考がとろけて、でも視界はクリアになる
そんな不思議なバランスです。
この感覚を、どう訳せば伝わるのか。“整い”とは、英語で言えば何になるのか?
たとえば、“reset”ではなく、“realign”かもしれない。“relief”ではなく、“resonance”かもしれない。
そんなことを、ぼんやりと考えるのです。
サウナは、語彙と語彙の間を翻訳する場所でもあるのかもしれません。
湯上がりに思いつく、授業の言い回し
実際に、サウナに入ったあとで授業用のプリントを見直すと、「この例文、もっと自然な言い方があるな」「この説明、比喩を変えた方が伝わるかも」と、ことばの選び直しがスムーズに進むことがよくあります。
不思議なもので、整った後の自分は「やさしい言葉」を選ぶ傾向があるのです。それは語彙力というより、“語彙選びのセンス”が変わっているということ。教える相手の表情を想像しながら、やわらかい響き、わかりやすい順番を選ぶようになる。
これはサウナ後ならではの、“言葉の調律”かもしれません。
ことばを浴びるのではなく、蒸らす感覚
サウナに入ると、身体はじわじわと蒸されます。急に熱くなるのではなく、ゆっくりと内側から温まる感じ。
語彙もそれと同じで、一気に覚えるのではなく、“身体に蒸らす”ようにして染み込ませるのが、やはり一番良い。
語学の学びも、文章の執筆も、強く焼きつけるのではなく、「湿度を含んだまま置いておく」。
サウナでそう感じるたびに、私の語彙観も少しずつ変わってきました。
おわりに:語彙の浮かぶ場所を、自分の中に持つということ
語彙力とは、覚えた単語の量ではなく、思考を支える“言葉のストック”の深さです。
サウナという習慣は、そのストックを整理し、蒸らし、やわらかくほぐしてくれる場なのかもしれません。
日々の授業でも、ブログの執筆でも、“語彙を拾う感覚”を失わないようにするには、ときどき“静かな場所”に戻る必要がある。
私にとって、その場所がサウナなのです。