言葉にするために、旅に出る。
こんにちは。学習塾経営者兼講師として、そして「食と湯と街」の記録を綴る者として活動しております、けいさんです。
この数年、私は家族とともに、さまざまな温泉地や街の飲食店を訪ね歩いてまいりました。そこでいただく食事やお酒、街の匂い、人の声。それらすべてを「取材」として見つめ、感じ、言葉に置き換えることを仕事としています。
なぜ旅をするのか。それを「取材」と呼ぶのか。
「ただ遊んでいるようにも見えますね」と言われることも、正直あります。
ですが、旅先での体験には、英語教育者としての私が、実は最も大切にしている学びのエッセンスが詰まっています。
たとえば、温泉の効能について考えるとき、そこには語彙を選ぶ感覚が問われます。肌に触れる湯の質感は「とろみ」なのか「ぬるぬる」なのか、それとも「やわらかい」か。料理の感想を書くときにも、「おいしい」や「美味」では済まされない、より細やかな表現が必要になります。
これはそのまま、英語の指導にもつながる視点です。たとえば「It was delicious.」の一言から、「savory」「tender」「rich」「refreshing」など、どの単語がより適切なのかを選ぶ際には、こうした実体験こそが語彙選択の土台になります。
写真1:温泉地にて。湯の音に耳をすませる時間
五感で拾った記憶こそが、言葉の輪郭になる
書くことは、見えるものを深くする行為
取材とは、つまり「書くこと」です。
ただ消費する旅ではなく、記録し、解釈し、再構築すること。その一連の作業を通じて、出来事は“経験”から“知識”へと昇華します。
何を食べたか、ではなく、なぜその料理に心を動かされたのか。何を話したか、ではなく、どんな言葉が印象に残ったか。
これを自分の言葉で記すことで、旅は人生に刻み込まれていきます。
写真2:居酒屋にて
他者との距離感、会話の温度を言葉で残す
娘と妻とともに旅をする理由
私は、取材の多くを家族とともに行っています。1歳の娘と、非常勤役員でもある妻。彼女たちと旅することで得られる視点は、私一人のものとはまったく異なるものです。
たとえば、ベビーチェアの有無ひとつが、飲食店の印象を大きく左右します。サウナ施設でも、子連れ対応の姿勢に気づくことがあります。こうした「生活者としての気づき」は、ただのグルメブログや観光案内にはない、体温のある記録になります。
そして何より、このブログは「家族との記憶のアーカイブ」でもあるのです。娘が成長したとき、「こんな場所で一緒に食べて、笑っていたんだ」と思い返してくれる記事になれば、本望です。
写真3:宿の朝ごはん
旅の記憶は、ごはんとともに残る
取材とは、好奇心の火を絶やさぬこと
英語を教えるという仕事には、常に“伝えたいこと”が必要です。そしてそのためには、自らが外の世界と接点を持ち続け、刺激を受けることが不可欠です。
取材という名の旅は、まさにそのための時間。知らない街を歩くことで、知らなかった言葉が見つかる。知らない味に触れることで、新しい比喩が浮かぶ。
これは自分を更新する行為でもあり、生徒と向き合うエネルギーの源泉でもあります。
写真4:ひとり飲み、語り合い、思索する夜
言葉を得るために、飲む夜もある
終わりに
このブログは、単なる旅行記ではありません。“記録することで、伝える力を高める”という目的のもとに続けています。
旅先の一杯のお酒から、授業での例文が生まれる。温泉での一瞬の気づきが、生徒との会話のきっかけになる。
そう信じて、私はこれからも、取材としての旅を続けていきます。
そしてそのすべてが、また誰かの言葉をつくる助けになれば、これ以上の喜びはありません。